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死 |
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人が死ぬ瞬間を見たことは今まで一度しかない。父方の祖父の時だ。
それだって別に「今死んだ」というはっきりした境目を確認したわけじゃなくて、睫毛反射がなくなりましたとか心臓が止まりましたとか(さらにそれだって、ピッピッ、ピッ、ピーーーー……みたいなのがあったわけじゃない)、少なくとも傍目にはゆっくり死んでゆっくり冷たくなっていった。
だから見たじゃなくて立ち会ったとだけ言うべきかもしれない。看取ったと言えるほどのこともしなかった。
映画なんかでは派手に油を焚いて建物や車が吹っ飛んだりするけど、実際は銃器だってあんなに派手な閃光や煙を出しやすい火薬は使うはずがないし(だってあれじゃ敵に見つかるでしょう。夜ならともかく昼間にあれはないと思う。爆弾、特にナパーム弾や核爆弾の類はまた別)、たいていの交通事故だってどしん、ぐちゃ、うー、ヒクヒク、終わり、だろうし。
何か大きな抗えない作用があると、動物ってわりとあっさり死ぬ。時にそれが物理的・生理的な作用でなくても。
そうじゃなく派手に死ぬとやっぱり印象が強いと言うか「悲劇的で、見てる人の心を打つ ≒ かっこいい」。本人はそれどころじゃないだろうけどな。
わざわざ人間の派手な死に絡む行動を起こす人は、自分が死ぬ場合はどうせ死ぬならそうありたいと思うのか、自分は死なないと思ってるのか。
死なないと思ってるならまだ健康的な気がする。いや諸々健康だから生きてるとかそういうのはなしで。
あ、言うまでもありませんが法による死に関わる人たちは全然別です。あれもすごい仕事だ。
そうは思わない文化もあるから、じゃないでしょうか |
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Quote |
横からですが。
人間は理性と知性を有する動物です、考えて相手に伝える手段を持っています、話し合いでは駄目なのでしょうか。 (zig5z7略) 殺人も、相手の文化を消滅させる事も、優劣をつける問題ではなくどちらも人としてやってはいけない事に変りはないと思います。
理性や知性が時に動物としての本能を越えて歪みうるからこそ、話にならん、殺せ、となるので、つまり「人が人であるからこそ」戦争は起こる、と考えています。
自分の心の中に住む悪魔、が「やっちまえよ」と囁く時、自分の心の中に住む天使、も「やっちまえよ」と囁いたら、それはやっちゃうんじゃないでしょうか。
メロディー |
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メロディーもコード進行ももう書き尽くされた、という絶望が語られてからずいぶん経つようだ。
もしそれが本当なら、サンプリングやリミックスの勃興も無理もない気がする。既にあるものを何とかして使い回すしかないもの。
小室哲哉が、自分が得意とする転調について冗談まじりに「あれはシンセのトランスポーズボタンを押したらああなっただけなんですよ」と語っていたことがある。
J-POPによくある、音程感はあるけどずーっと同じ音でリズミックに歌詞を乗せていって(時に、韻を多用して)あとに続くサビのメロディーの印象を高める手法も、単に、一曲通して書く分の材料がもうないだけなのかもしれない。
これなら、歌の音質が違えば3分間くらいだったら何とかもつ。声自体の質もそうだけど、音響的に見れば歌詞は音質の変化だ。歌詞に言葉としての意味や物語を感じられれば聞いてる方の意識はそっちに行くからなおさら。
この手法は「歌うのが難しい部分が減るからカラオケで歌いやすい」というのもあるのかもだけど。
ラップは「単に金がなくて、片手でラジカセを担いで自己紹介やメッセージを乗せてしゃべっていた」というのがあるだろうからまた違うのかも。
偏見か。
偏見ついでに、この時、もう片方の手で自分のキンタマをごっそり掴んで大股のガニ股でのっしのっしと歩き回るとすごく70-80's。キャップのツバは斜め後ろ。これが斜め前で上げめだと時代がちょっと下る。
生命力・生きる力の強さ |
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特に、不本意ながらそう遠くない将来に死ななければならなくなったことを知った時、一般的にはその強さは、年齢がある程度若いほうが気丈さとなって表れやすいように思う。
一生分の分量があらかじめ決まって、終わりが見えたら使い切りたくなるのかもしれない。
太く短く、みたいなのも力の出方がそういう出方なんじゃないかと。
SFの効能 |
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Quote SF ハインライン |
技術が切り開く未来に自信がなくなるとSFが読みたくなる。
「サイエンス・フィクションというものは、それがどんなに陳腐なものであっても、どんなに異様であっても、どれほど下手に書いてあっても、そのすべてに基本的な前提条件として、世界は変わっていくものだ、ということがあるために、はっきりとした効能を持っています。そして、こうした時代にあって、その理念の重要性を強調しすぎるということは、ないでしょう。」
-- 一九四一年、コロラド州デンヴァーで開かれた第三回SF大会のハインラインのスピーチより
ハヤカワ文庫<SF624>時の門(ロバート・A・ハインライン著、福島正美・他訳)の解説(高橋良平)から引用
あったかいシャワーが気持ちよかった |
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いや、今までだって気持ち悪かったわけじゃないんだけど。
秋が近いのか。
家が椅子生活じゃなくて |
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床にあぐらな人は、特に足の順番が決まってる人は、くるぶしの外側の皮膚が肘っぽくなりやすい。
素足にサンダル派の人は注意。部屋が畳の人も注意。
恋あり笑いありで最高にハッピーな映画みたいな夢を見て |
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今朝は笑いながら目覚めたのにもうほとんど覚えていない。心底、覚めたくなかった。
あの夢は脚本監督演出主演全部オレなのにもったいない。
ふらっと散歩してふらっと買い物しようぜ |
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ジャンルを問わず、攻めてる店が好きだ。カラーがある店が好きだ。
そういう店なら自分が興味なくても入って楽しい。さすがに完全アウェイだと一人では入りませんが。
現行ものの量産品だといまどき店頭で買うメリットってあまりない。量販店で触って調べてあとはネットで買えばいい。こんなとこ見てるような人ならネット通販の一度や二度は使ったことあるでしょう。
本は別。今のところネットと実店舗の価格差があまりないので、実店舗でも比較的衝動買いしやすい。これは再販制度の数少ないメリット。ネットじゃ大した立ち読みできないし。
あと眼鏡や靴は自分の体の方が一品ものなので、絶対にちゃんとした店で試して買った方がいい。あれはどっちも基本的に医療器具だから。
眼鏡をネットで安売りしてるとこもあるけど、利き目とか用途とかフィッティングとか眼球の距離とか気づかない程度の斜視とか、全員が自分でちゃんとできるとは到底思えない。
絶版ものも当然別の話。
中古屋は絵になる。ここはこれ系が強いのかとか、その裏の裏をかいてとんでもない掘り出し物を見つける楽しみとか、自分にとっての店ごとの個性は嫌でも見つかる。
攻めてる店で自分にとっていい出物があると、たとえそれが他のつまんない店やネットでもっと安く買えると知ってても、家の近くで買えばサポートが楽だとわかってても、店に対する敬意としてそこで買うことにしている。もちろん限度はあるけど。
だってそういう店につぶれてもらっちゃ困るもの。
だからみんな、例えば図書館とかブックオフとかヤフオクとかに頼らないで欲しい。攻めてる店や攻めてるメーカーに儲けさせてあげて欲しい。
会社が最終的には消費者のものなら、それ相応の責任をちょっとでも背負うと気分いいです。ブランドだって結局は買う側が作るんです。
個人の得が社会の損失になることってあるんですよ。
Re: http://vidg5z.sa.yona.la/313
決まってるのはあんたの「値段」であって |
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「価値」じゃない。市場価値とかそういう言葉遊びはともかく。
しかもそれは誰か他の奴がそいつの中で決めてんでしょ。だって市場だし。
しがらみがないポエミーな場所だし、言ってしまえば他人事だからあえて書く。
自分の考えを持つのは強さでも逃げでもないと思う。
お前はそこにいんだよ。そんだけ。
流されるだけでやっててふと目覚めて恥ずかし気もなく自分探しとか言っちゃってるやつのみっともなさを見てみろ。
死ぬときゃ結局一人なんだからオナニー上等。好きにやって好きにイけ。
ああ最高の人生だったと思って死ねるのが理想ではあるけど、「ま、こんなもんでしょ。悔いがないとは言わないけど未練はない。お先っす」くらいで死ねたらそれはそれでまあまあいい人生だろうなと思わない?
基本なんでもありだろ。
個人の価値なんて言い始めたら止まらない。だからステレオタイプって時に有効で便利なんだし、便利だからみんなそうやって量るんだよ。
でも手段を目的にしてどうする。